10月17日はシルビア・クリステル(Sylvia Kristel)の命日

シルビア・クリステル(Sylvia Kristel、1952年9月28日 - 2012年10月17日)は、オランダ・ユトレヒト出身の映画女優で、モデル。

17歳でモデルの仕事を始めた。
1973年にはミスコンテスト「Miss TV Europe」で優勝している。IQが164もあり、小学校では4学年を飛び級という経験もしている。

言葉は、オランダ語、英語、フランス語、ドイツ語とイタリア語も話せるという、マルチリンガルな才能を持つ。

1970年代半ばを通して、ベルギーの作家で27歳年長のフーゴ・クラウスと交際していた。

1972年に『処女シルビア・クリステル/初体験』で映画デビュー

1973年にエマニュエル・アルサンの小説『エマニュエル』が大ヒットし、翌年それを映画化したソフトコア映画『エマニエル夫人』に出演し、世界的な名声を獲得する。

ピエール・バシュレが歌ったテーマ曲とともに日本でも人気を博した。


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続編の「続 エマニエル夫人」(75)、「さよなら エマニエル夫人」(77)にも出演した。

ハリウッド進出作「エアポート'80」で、エマニエルのイメージを払拭しようとしたがうまくいかず、その後も「プライベイトレッスン」「チャタレイ夫人の恋人」(ともに81)とセクシー路線を歩んだ。
ハリウッドでは飲酒・薬物のトラブルもあり、話題作への出演が減っていった。

その後、2度の結婚を経験。相手はアメリカ人ビジネスマン(5ヶ月で離婚)と次は映画プロデューサーであったが、破産により関係も破綻。
その後、ベルギーのラジオ番組のプロデューサーと10年間ほど暮らした。10代前半からの喫煙の影響か、2002年に喉頭癌、2004年には肺癌の手術を受けている。

2008年9月、SMAP×SMAPにゲスト出演している。

晩年はオランダのアムステルダムに居住。年下の男性と同棲し、絵を描くことに没頭して暮らした。

2012年6月に咽頭癌の手術を受け、その後に脳卒中で倒れてアムステルダムの病院に入院していた。同年10月17日、入院先の病院で死去。60歳没。

パートナー: イアン・マクシェーン (1977年 - 1982年)
配偶者: フィリップ・ブロット (1986年 - 1991年 年結婚) · アラン・ターナー (1982年 - 1983年 年結婚)
子供: アーサー・クリステル (息子)
親: ピート・クリステル (母親) · ジョアン・ニコラス・クリステル (父親)
兄弟: マリアン・クリステル (姉妹)

◆主な出演作品
処女シルビア・クリステル/初体験 FRANK AND EVA/FRANK EN EVA 81分 (1972)
エマニエル夫人 EMMANUELLE 91分 (1974)
卒業試験 ES WAR NICHT DIE NACHTIGALL/DER LIEBESSCHULER/IT WAS NOT THE NIGHTINGALE 85分 (1974)
続エマニエル夫人 EMMANUELLE, L'ANTI VIERGE/EMMANUELLE: THE JOYS OF A WOMAN 91分 (1975)
夜明けのマルジュ LA MARGE 93分 (1976)
華麗な関係 UNE FEMME FIDELE 94分 (1977)
さよならエマニエル夫人 GOOD-BYE EMMANUELLE 98分 (1977)
エアポート'80 The Concorde ... Airport '79 113分 (1979)
0086笑いの番号 The Nude Bomb 94分 (1980)
プライベート・レッスン Private Lessons 87分 (1981)
チャタレイ夫人の恋人 Lady Chatterley's Lover 103分 (1982)
プライベート・スクール Private School 97分 (1983)
エマニュエル EMMANUELLE 4 93分 (1984)
魔性の女スパイ Mata Hari 108分 (1985、日本未公開)
ドラキュラ・ウィドー DRACULA'S WIDOW 86分 (1986)
エマニュエル~媚薬の香り La revanche d'Emmanuelle (1992-93) TVシリーズ ※ビデオタイトルはエマニュエル・ザ・ハード
Forgive me - Cyrus Frisch 01(2001)