フランスの大女優ダニエル・ダリューさんが10月17日(現地時間)、パリ郊外ボワ=ル=ロワにある自宅で死去した。享年100歳だった。死因は明らかになっていないが、ダリューさんは99歳まで女優活動を続けていたが、つい最近転倒し、体調を崩していたとダリューさんのパートナーが語っている。
 仏南西部ボルドー生まれ。30年代から女優として活躍。映画「うたかたの恋」(36年)で世界的な人気を博し、長崎を舞台とする日仏合作映画「忘れえぬ慕情」(56年)にも出演した。

ダニエル・ダリュー


 今世紀に入ってからも活動を続け、女優としてのキャリアは約80年に及んだ。
ダリューさんは1938年の米ハリウッド(Hollywood)作品『巴里(パリ)の評判娘(The Rage of Paris)』でダグラス・フェアバンクス・ジュニア(Douglas Fairbanks Jr)の相手役を務め、色気を含んだ美貌とすねたような表情を見せて一躍世界にその名をはせた。仏紙フィガロは「晩年も魅力を維持し続けた伝説的な女優だ」と評している。

1917年5月1日に仏ボルドーで生まれ、パリで育ったダリューさんは、14歳のときにビルヘルム・ティーレ監督の「Le Bal(原題)」で女優デビュー。35年に結婚したアンリ・ドコアン監督の「背信」などに主演した。38年にはハリウッドに渡り、ユニバーサルの「パリの評判娘」に出演したが、その後まもなく拠点をフランスに戻した。
報道によれば、第2次世界大戦中は、ナチス・ドイツ支配下のフランスで芸能活動を続け、ベルリンを訪問するなど非難を受けたこともあったという。
終戦後は、マックス・オフュルス監督の「輪舞(1950)」や、「たそがれの女心」(54)でヒロインのマダム・ド役で名を馳せ、クロード・オータン=ララ監督の「赤と黒」(54)や、ジュリアン・デュビビエ監督の「自殺への契約書」(59)などで活躍。
ジョセフ・L・マンキウィッツ監督の「五本の指」(52)、ロバート・ロッセン監督、リチャード・バートン主演「アレキサンダー大王」(56)などアメリカ作品にも出演した。
ジャック・ドゥミ監督の傑作ミュージカル映画「ロシュフォールの恋人たち」(67)では、主人公の双子の姉妹の母親役をチャーミングに演じ新境地を開拓。
フランソワ・オゾン監督のオールスターミュージカル「8人の女たち」では後続の仏女優たちと見事なアンサンブルを披露した。80年におよぶキャリアで約140本の映画に出演し、ブロードウェイの舞台にも立った。
2007年にはアニメ作品『ペルセポリス(Persepolis)』に声優として出演し、主人公の祖母役を務めた。
2010年のファミリードラマ「Piece montee(原題)」が最後の長編作品となった。
私生活では、ドコアン監督と40年に離婚し、ドミニカ共和国外交官でプレイボーイとして知られたポルフィリオ・ルビロサと42年から5年間結婚生活を送った。その後、再婚した脚本家のジョルジュ・ミツィキデとは91年に死別した。

★ダニエル・ダリュー(Danielle Darrieux, 本名: ダニエル・イボンヌ・マリー・アントワネット・ダリュー, 1917年5月1日 - 2017年10月17日)は、ボルドー生まれのフランス女優。現在まで110以上の映画に出演しているフランス古典派美人女優の代表格。

来歴
医者の娘としてフランス南西部で生まれる。
その父親は第一次世界大戦の間、フランス軍に勤めていたが、彼女が7歳の時死んだ。ダリューはその後パリで育って、音楽学校でチェロを学んだ。
14歳の時、『ル・バル』 (1931) の主役で映画デビュー。1936年、シャルル・ボワイエと共演した『うたかたの恋』で悲恋の令嬢マリーを演じ、一躍国際的なスターとなる。
第二次世界大戦の間、フランスがドイツ軍占領下にもかかわらず、しばらく演劇活動を続けたため、彼女は同胞によってひどく批判された。しかし、映画会社から、ドイツに彼女の兄弟を追放すると脅迫されていたので、ダリューは従わざるを得なかった。
戦後は、『輪舞』 (1950)、『赤と黒』 (1954)、『チャタレイ夫人の恋人』 (1955) のような文芸作品で人気を博した。ただし、『チャタレイ夫人の恋人』は、そのエロチックな内容のため、アメリカではカトリック検閲官によって放映禁止となった。
1960年代には歌手としてコンサート活動を行い、レコードも出している。1970年にはブロードウェイ・ミュージカル『Coco』にキャサリン・ヘプバーンの代役として主演。1980年代にはパリの劇場でミュージカル『ジジ』を演じている。
1930年代初頭から21世紀の現在に至るまでの、その80年間に及ぶ長いキャリアは、ミシュリーヌ・プレールを凌ぐ。
1962年、レジオンドヌール勲章を受勲。1985年度の第10回セザール賞で名誉賞を受賞。
1999年、アメリカ映画協会の選ぶ「伝説の映画スター100人(男優50人・女優50人)」の中には選ばれなかったが、その選考の際ノミネートされた500人(男優250人・女優250人)のリストには入った。
そのリストの中でフランス映画女優としては他にアナベラ、シモーヌ・シモンのみであり、ノミネートされた中で彼女は数少ない存命かつ現役俳優の1人だった。ちなみにダリュー自身はアメリカ映画に4本、イギリス映画に1本出演しただけである。
2002年には、新鋭フランソワ・オゾン監督の映画『8人の女たち』に出演。歌と踊りも披露して、80代でもフランス映画界の現役女優であることを全世界に示した。この作品でカトリーヌ・ドヌーヴ、エマニュエル・ベアールら他の7人の共演女優たちと共にベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞した。その後も映画出演を続けている。
プライベートでは1935年に映画監督・脚本家のアンリ・ドコワンと結婚するが1941年に離婚。ドコワンはしばしば自分の製作する作品にダリューを主演させて、彼女の映画経歴を助けた。また、彼はハリウッド映画に進出するよう妻に促したが、ダリューはほんの短期間アメリカで活動した後すぐにフランスに戻った。
1942年に、ドミニカ共和国外交官で悪名高い女たらしのポルフィリオ・ルビロサと結婚するが、ルビロサは彼の反ナチ的な意見のためドイツへ強制移住させられた。ダリューは夫の解放と引きかえに、女優としてベルリンでプロモーション旅行をした。彼らは戦争の終わりまでスイスに住んで1947年に離婚。
1948年に結婚したジョルジュ・ミトキシデスとは、彼の亡くなる1991年まで連れ添った。
2002年の「8人の女たち」では、カトリーヌ・ドヌーヴなど共演した7人の女優と共にベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞している。

☆彡フィルモグラフィー
ペルセポリス (2007) 
声の出演
マルジの祖母
ゼロ時間の謎 (2007)
出演
カミーラ・トレシリアン
危険な関係 (2003)<TVM>
出演

8人の女たち (2002)
出演
マミー(妻の母)カトリーヌ・ドヌーヴなど共演した7人の女優と共にベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞している。ヨーロッパ映画賞 女優賞 受賞(8人の女優に対して)
僕と一緒に幾日か (1988)
出演

夜を殺した女 (1986)<未>
出演

肉体と財産 (1986)
出演

都会のひと部屋 (1982)<未>
出演

脱獄の報酬 (1976)<未>
出演

哀愁のみずうみ (1968)
出演

ペルーの鳥 (1968)
出演

ロシュフォールの恋人たち (1966)
出演

青髭 (1963)<未>
出演

二重生活 (1963)<未>
出演

悪い女 (1963)
出演

フランス式十戒 (1962)
出演

女になる季節 (1961)
出演

45回転の殺人 (1960)
出演

いまだ見ぬひと (1959)
出演

自殺への契約書 (1958)
出演

夜の放蕩者 (1958)
出演

奥様ご用心 (1957)
出演

忘れえぬ慕情 (1956)
出演

アレキサンダー大王 (1956)
出演

チャタレイ夫人の恋人 (1955)
出演

ナポレオン (1954)
出演

赤と黒 (1954)
出演
レナール夫人
たそがれの女心 (1953)
出演

愛すべき御婦人たち (1952)
出演

快楽 (1952)
出演

五本の指 (1952)
出演

輪舞 (1950)
出演

モロッコ守備隊 (1947)
出演

ルイ・ブラス (1947)
出演

カチアの恋 (1938)
出演

暁に帰る (1938)
出演

巴里の評判娘 (1938)
出演

背信 (1937)
出演

不良青年 (1936)
出演

うたかたの戀 (1935)
出演

恋愛交叉点 (1935)
出演

旅順港 (1935)
出演

禁男の家 (1935)
出演

隊長ブーリバ (1935)
出演

不景気よさようなら (1934)
出演

ル・バル (1931)
出演