美女賛歌ブログ「エンジェルの微笑み」

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海外

色気を含んだ美貌で世界にその名をはせた女優ダニエル・ダリューが10月17日100歳で死去 

フランスの大女優ダニエル・ダリューさんが10月17日(現地時間)、パリ郊外ボワ=ル=ロワにある自宅で死去した。享年100歳だった。死因は明らかになっていないが、ダリューさんは99歳まで女優活動を続けていたが、つい最近転倒し、体調を崩していたとダリューさんのパートナーが語っている。
 仏南西部ボルドー生まれ。30年代から女優として活躍。映画「うたかたの恋」(36年)で世界的な人気を博し、長崎を舞台とする日仏合作映画「忘れえぬ慕情」(56年)にも出演した。

ダニエル・ダリュー


 今世紀に入ってからも活動を続け、女優としてのキャリアは約80年に及んだ。
ダリューさんは1938年の米ハリウッド(Hollywood)作品『巴里(パリ)の評判娘(The Rage of Paris)』でダグラス・フェアバンクス・ジュニア(Douglas Fairbanks Jr)の相手役を務め、色気を含んだ美貌とすねたような表情を見せて一躍世界にその名をはせた。仏紙フィガロは「晩年も魅力を維持し続けた伝説的な女優だ」と評している。

1917年5月1日に仏ボルドーで生まれ、パリで育ったダリューさんは、14歳のときにビルヘルム・ティーレ監督の「Le Bal(原題)」で女優デビュー。35年に結婚したアンリ・ドコアン監督の「背信」などに主演した。38年にはハリウッドに渡り、ユニバーサルの「パリの評判娘」に出演したが、その後まもなく拠点をフランスに戻した。
報道によれば、第2次世界大戦中は、ナチス・ドイツ支配下のフランスで芸能活動を続け、ベルリンを訪問するなど非難を受けたこともあったという。
終戦後は、マックス・オフュルス監督の「輪舞(1950)」や、「たそがれの女心」(54)でヒロインのマダム・ド役で名を馳せ、クロード・オータン=ララ監督の「赤と黒」(54)や、ジュリアン・デュビビエ監督の「自殺への契約書」(59)などで活躍。
ジョセフ・L・マンキウィッツ監督の「五本の指」(52)、ロバート・ロッセン監督、リチャード・バートン主演「アレキサンダー大王」(56)などアメリカ作品にも出演した。
ジャック・ドゥミ監督の傑作ミュージカル映画「ロシュフォールの恋人たち」(67)では、主人公の双子の姉妹の母親役をチャーミングに演じ新境地を開拓。
フランソワ・オゾン監督のオールスターミュージカル「8人の女たち」では後続の仏女優たちと見事なアンサンブルを披露した。80年におよぶキャリアで約140本の映画に出演し、ブロードウェイの舞台にも立った。
2007年にはアニメ作品『ペルセポリス(Persepolis)』に声優として出演し、主人公の祖母役を務めた。
2010年のファミリードラマ「Piece montee(原題)」が最後の長編作品となった。
私生活では、ドコアン監督と40年に離婚し、ドミニカ共和国外交官でプレイボーイとして知られたポルフィリオ・ルビロサと42年から5年間結婚生活を送った。その後、再婚した脚本家のジョルジュ・ミツィキデとは91年に死別した。

★ダニエル・ダリュー(Danielle Darrieux, 本名: ダニエル・イボンヌ・マリー・アントワネット・ダリュー, 1917年5月1日 - 2017年10月17日)は、ボルドー生まれのフランス女優。現在まで110以上の映画に出演しているフランス古典派美人女優の代表格。

来歴
医者の娘としてフランス南西部で生まれる。
その父親は第一次世界大戦の間、フランス軍に勤めていたが、彼女が7歳の時死んだ。ダリューはその後パリで育って、音楽学校でチェロを学んだ。
14歳の時、『ル・バル』 (1931) の主役で映画デビュー。1936年、シャルル・ボワイエと共演した『うたかたの恋』で悲恋の令嬢マリーを演じ、一躍国際的なスターとなる。
第二次世界大戦の間、フランスがドイツ軍占領下にもかかわらず、しばらく演劇活動を続けたため、彼女は同胞によってひどく批判された。しかし、映画会社から、ドイツに彼女の兄弟を追放すると脅迫されていたので、ダリューは従わざるを得なかった。
戦後は、『輪舞』 (1950)、『赤と黒』 (1954)、『チャタレイ夫人の恋人』 (1955) のような文芸作品で人気を博した。ただし、『チャタレイ夫人の恋人』は、そのエロチックな内容のため、アメリカではカトリック検閲官によって放映禁止となった。
1960年代には歌手としてコンサート活動を行い、レコードも出している。1970年にはブロードウェイ・ミュージカル『Coco』にキャサリン・ヘプバーンの代役として主演。1980年代にはパリの劇場でミュージカル『ジジ』を演じている。
1930年代初頭から21世紀の現在に至るまでの、その80年間に及ぶ長いキャリアは、ミシュリーヌ・プレールを凌ぐ。
1962年、レジオンドヌール勲章を受勲。1985年度の第10回セザール賞で名誉賞を受賞。
1999年、アメリカ映画協会の選ぶ「伝説の映画スター100人(男優50人・女優50人)」の中には選ばれなかったが、その選考の際ノミネートされた500人(男優250人・女優250人)のリストには入った。
そのリストの中でフランス映画女優としては他にアナベラ、シモーヌ・シモンのみであり、ノミネートされた中で彼女は数少ない存命かつ現役俳優の1人だった。ちなみにダリュー自身はアメリカ映画に4本、イギリス映画に1本出演しただけである。
2002年には、新鋭フランソワ・オゾン監督の映画『8人の女たち』に出演。歌と踊りも披露して、80代でもフランス映画界の現役女優であることを全世界に示した。この作品でカトリーヌ・ドヌーヴ、エマニュエル・ベアールら他の7人の共演女優たちと共にベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞した。その後も映画出演を続けている。
プライベートでは1935年に映画監督・脚本家のアンリ・ドコワンと結婚するが1941年に離婚。ドコワンはしばしば自分の製作する作品にダリューを主演させて、彼女の映画経歴を助けた。また、彼はハリウッド映画に進出するよう妻に促したが、ダリューはほんの短期間アメリカで活動した後すぐにフランスに戻った。
1942年に、ドミニカ共和国外交官で悪名高い女たらしのポルフィリオ・ルビロサと結婚するが、ルビロサは彼の反ナチ的な意見のためドイツへ強制移住させられた。ダリューは夫の解放と引きかえに、女優としてベルリンでプロモーション旅行をした。彼らは戦争の終わりまでスイスに住んで1947年に離婚。
1948年に結婚したジョルジュ・ミトキシデスとは、彼の亡くなる1991年まで連れ添った。
2002年の「8人の女たち」では、カトリーヌ・ドヌーヴなど共演した7人の女優と共にベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞している。

☆彡フィルモグラフィー
ペルセポリス (2007) 
声の出演
マルジの祖母
ゼロ時間の謎 (2007)
出演
カミーラ・トレシリアン
危険な関係 (2003)<TVM>
出演

8人の女たち (2002)
出演
マミー(妻の母)カトリーヌ・ドヌーヴなど共演した7人の女優と共にベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞している。ヨーロッパ映画賞 女優賞 受賞(8人の女優に対して)
僕と一緒に幾日か (1988)
出演

夜を殺した女 (1986)<未>
出演

肉体と財産 (1986)
出演

都会のひと部屋 (1982)<未>
出演

脱獄の報酬 (1976)<未>
出演

哀愁のみずうみ (1968)
出演

ペルーの鳥 (1968)
出演

ロシュフォールの恋人たち (1966)
出演

青髭 (1963)<未>
出演

二重生活 (1963)<未>
出演

悪い女 (1963)
出演

フランス式十戒 (1962)
出演

女になる季節 (1961)
出演

45回転の殺人 (1960)
出演

いまだ見ぬひと (1959)
出演

自殺への契約書 (1958)
出演

夜の放蕩者 (1958)
出演

奥様ご用心 (1957)
出演

忘れえぬ慕情 (1956)
出演

アレキサンダー大王 (1956)
出演

チャタレイ夫人の恋人 (1955)
出演

ナポレオン (1954)
出演

赤と黒 (1954)
出演
レナール夫人
たそがれの女心 (1953)
出演

愛すべき御婦人たち (1952)
出演

快楽 (1952)
出演

五本の指 (1952)
出演

輪舞 (1950)
出演

モロッコ守備隊 (1947)
出演

ルイ・ブラス (1947)
出演

カチアの恋 (1938)
出演

暁に帰る (1938)
出演

巴里の評判娘 (1938)
出演

背信 (1937)
出演

不良青年 (1936)
出演

うたかたの戀 (1935)
出演

恋愛交叉点 (1935)
出演

旅順港 (1935)
出演

禁男の家 (1935)
出演

隊長ブーリバ (1935)
出演

不景気よさようなら (1934)
出演

ル・バル (1931)
出演

『モダン・ファミリー』でお馴染みのソフィア・ベルガラが世界で最も稼いだテレビ女優に選ばれる

ソフィア・ベルガラが『フォーブス』誌の発表するランキングで6年連続、世界で最も稼いだテレビ女優に選ばれた。『モダン・ファミリー』でお馴染みのソフィアは昨年6月2日から今年6月1日までの間、税金などが差し引かれる前の金額として4150万ドル(約46億8100万円)を得てダントツ1位の座に輝いた。



ソフィアの収入のうち、4分の1のみが『モダン・ファミリー』出演によるもので、半分以上はシャンプーブランドのヘッド&ショルダーズ、ペプシ、コスメブランドのカバーガールなどとのコマーシャル契約によるものだと見られている。

ソフィアに続いて、『ビッグバン★セオリー/ギークなボクらの恋愛法則』で1話につき100万ドル(約1億1300万円)の出演料を得ているケイリー・クオコが2600万ドル(約29億円)で2位についている。
3位には『ザ・ミンディ・プロジェクト』のミンディ・カリングと『グレイズ・アナトミー 恋の解剖学』のエレン・ポンピオが共に1300万ドル(約15億円)でタイにつけた。

さらに『LAW & ORDER:性犯罪特捜班』のマリシュカ・ハージティが1250万ドル(約14億円)で5位、以下ジュリー・ボーウェンが1200万ドル(約13億5000万円)、ケリー・ワシントンが1100万ドル(約12億4000万円)、プリヤンカー・チョープラーが1000万ドル(約11億3000万円)で続いている。
トップ10最後には『ハウス・オブ・カード 野望の階段』のロビン・ライトが900万ドル(約10億円)で9位、『NCIS 〜ネイビー犯罪捜査班』のポーリー・ペレットが850万ドル(約9億6000万円)で10位にすべり込んでいる。

※フォーブスが9月26日に発表した最新の「世界で最も稼ぐテレビ女優ランキング」で、コロンビア出身のソフィア・ベルガラが再びトップに輝いた。6年連続で首位を維持したベルガラの今年6月1日までの1年間の収入は、およそ4150万ドル(約46億6200万円)だった。

ベルガラの収入は、多くがドラマへの出演料ではなく企業とのエンドースメント契約やライセンス契約によるものとなっている。「ビジネス・ファースト」の考え方が、ほかの女優たちとの大幅な収入の差につながっていると言える。

ランキングで2位につけたケイリー・クオコの同期間の年収は、2600万ドルだった。ドラマ「ビッグバン・セオリー」の一話当たりの出演料は100万ドルとなっており、ベルガラの2倍以上だ。だが、エンドースメント契約などを結んでいる企業の数は多くない。

今年のトップ10にランク入りした女優たちの年収の合計は、1億5650万ドルだった。金額の算出に当たっては、ニールセン、ボックス・オフィス・モジョ、IMDBのデータのほか、業界関係者から直接入手した情報を考慮した。全て税引き前、エージェントやマネージャー、弁護士などへの料金支払い前の金額となっている。

テレビドラマでは、出演する俳優のギャラが同額のことも多い。例えば、「モダン・ファミリー」でベルガラと共演するジュリー・ボーウェン(ランキングの6位)の同作への出演料は、ベルガラやその他の男優たち(タイ・バーレル、エリック・ストーンストリート、ジェシー・ファーガソン、エド・オニールなど)と同額だ。

ただ、女優たちにとっては主役が女性のドラマが少ないという問題がある。サンディエゴ州立大学がまとめた報告書によると、せりふがある女性の役は、登場人物の42%だ。さらに、男性より女性の出演者の方が多い番組は、全体の21%だという。ただ、長寿番組となった「LAW & ORDER:性犯罪特捜班」に出演するマリスカ・ハージティ(同5位)などの活躍のおかげで、この傾向には変化も見られ始めているとされる。

☆彡2017年の「世界で最も稼ぐテレビ女優」ランキングに入った10人。
1位:ソフィア・ベルガラ(Sofia Vergara)/4150万ドル
2位:ケイリー・クオコ(Kaley Cuoco)/2600万ドル
3位:ミンディ・カリング(Mindy Kaling)/1300万ドル
3位:エレン・ポンピオ(Ellen Pompeo)/1300万ドル
5位:マリスカ・ハージティ(Mariska Hargitay)/1250万ドル
6位:ジュリー・ボーウェン(Julie Bowen)/1200万ドル
7位:ケリー・ワシントン(Kerry Washington)/1100万ドル
8位:プリヤンカー・チョープラー(Priyanka Chopra)/1000万ドル
9位:ロビン・ライト(Robin Wright)/900万ドル
10位:ポーリー・ペレット(Pauley Perrette)/850万ドル

★ソフィア・マルガリータ・ベルガラ・ベルガラ(Sofía Margarita Vergara Vergara, 1972年7月10日 - )は、コロンビアの女優。
略歴
バランキヤ出身。1991年、18歳の時に結婚し息子をもうけるが、2年後に離婚。その後コロンビアの大学で3年間歯学を学ぶが、在学中にモデルとして活動するようになる。彼女には5人の兄弟がいる。
コロンビア・バランキージャ出身。ソフィア・ベルガラはプレ歯科医学を勉強し続けました。ビーチでフォトグラファーにスカウトされたのを機に、17歳からモデルとして働き始める。18歳で結婚し、20歳のときに一人息子を出産するも離婚。ソフィアは、息子と一緒にロサンゼルス、カリフォルニアに住んでいます。ソフィア・ベルガラはMissBarranquilla(ミスバランキージャ)としてミスコロンビアコンテストに出場。

その後、首都ボゴダに移り女優として活動する。

ドラマ「Out of the Ordinary(英題)」が国外でも放送され、アメリカの作品にも出演するように。
ラテン系セクシー女優として「ビッグ・トラブル」(02/日本劇場未公開)、「ロード・オブ・ドッグタウン」(05)などの映画やTVに出演。

「フォー・ブラザーズ 狼たちの誓い」(05)では演技力も示し、さらに出演作が増えていく。
ABCのシットコム「Modern Family」(09~)でブレイクし、エミー賞の助演女優賞にもノミネートされた。

SofíaMargarita Vergara Vergara(スペイン語発音:[sofi.aβerɣaɾa]; 1972年7月10日生まれ)はコロンビアの女優およびモデルです。

Vergaraは1990年代後半にスペイン語のテレビネットワークUnivisiónのために2つのテレビ番組を共同開催している間に著名になった。

彼女の最初の有名な演技の仕事は、映画「Chasing Papi(2003)」にあった。
続いて、彼女はFour Brothers(2005)とタイラー・ペリーの2つの映画「Browns(Meet the Browns)」と「Madea Goes to Jail(2009)」のALMA賞ノミネートを受賞した他の映画に出演しました。

 Vergaraのテレビでの成功はSmurfs(2011)、New Year's Eve(2011)、Happy Feet Two(2011)、The Three Stooges(2012)、Planet Earthからの脱出(2013)、Machete Kills 、シェフ(2014)、ホット・トラッキング(2015) 2012年、2013年、および2016年には、彼女はアメリカのテレビで最高収入の女優でした。

VergaraはGloria Delgado-PritchettとしてABCシリーズのModern Familyに出演し、彼女は4つのゴールデングローブ賞、4つのPrimetimeエミー賞、7つのScreen Actors Guild賞にノミネートされています。 2014年、彼女はフォーブスによって世界で32番目に強力な女性としてランクされました。


本名 Sofía Margarita Vergara Vergara
Nickname La Toti
生年月日 1972年7月10日(45歳)
出生地  コロンビア バランキヤ
活動期間 1995年 - 活動中

◆Sofia Vergara measurements
Body shape:Hourglass (explanation)
Dress size:6
Breasts-Waist-Hips:37-28-38 inches (バスト94cm-ウエスト71cm-ヒップ96 cm)
Shoe/Feet:8.5
Bra size:34DD (34E)
Cup:DD (E)
Height:5’7″ (170 cm=1.7m)
Weight:130 lbs (59 kg)
Natural breasts or implants?Natural


sofia-vergara

フィルモグラフィー
映画
年 邦題/原題 役名 備考
2002 
ビッグ・トラブル 
Big Trouble 
ニナ
2003
ワタシにキメテ
Chasing Papi
シシ
2005
ロード・オブ・ドッグタウン
Lords of Dogtown
アメリア
フォー・ブラザーズ/狼たちの誓い
Four Brothers
ソフィ
7DAYS U2を呼べ!
7 días
本人
2011
ニューイヤーズ・イブ
New Year's Eve
エイヴァ
ハッピー フィート2 踊るペンギンレスキュー隊
Happy Feet Two
カルメン
声の出演
スマーフ
The Smurfs
オディール
2012
新・三バカ大将 ザ・ムービー
The Three Stooges
リディア・ハーター
2013
スペースガーディアン
Escape from Planet Earth
ギャビー・バブルブルック
声の出演
マチェーテ・キルズ
Machete Kills
マダム・デズデモーナ
ジゴロ・イン・ニューヨーク
Fading Gigolo
セリマ
2014
シェフ 三ツ星フードトラック始めました
Chef
イネズ
2015
ワイルドカード
Wild Card
D. D.
キューティ・コップ
Hot Pursuit
ダニエラ・リヴァ
製作総指揮
テレビ
年 邦題/原題 役名備考
2007
アントラージュ★オレたちのハリウッド
Entourage
ビレッジ・ガール
1エピソード
デスパレートな妻たち ~ラテン版
Amas de casa desesperadas
アリシア・オヴィエド
23エピソード
製作総指揮
ダーティ・セクシー・マネー
Dirty Sexy Money
ソフィア
4エピソード
2009 -
モダン・ファミリー
Modern Family
グロリア・デルガド・プリチェット
メインキャスト

1972年7月10日(45歳)
コロンビア、バランキージャ
市民権
コロンビア
アメリカ人
職業
女優、コメディアン、モデル、テレビのホスト、プロデューサー
活動している年
1995-現在
配偶者
ジョー・ゴンザレス(1991to1993)
ジョーマンガニエッロ(2015年)
子供 1人

ウェブサイト
www.sofiavergara.com

10月18日は「日曜はダメよ」のメリナ・メルクーリの誕生日

10月18日はメリナ・メルクーリの誕生日

メリナ・メルクーリ(Μελίνα Μερκούρη , Melina Mercouri, 1920年10月18日 - 1994年3月6日)は、ギリシャ・アテネ出身の女優、政治家。夫は映画監督のジュールズ・ダッシン。

本名 Maria Amalia Mercouri
生年月日 1920年10月18日
没年月日 1994年3月6日(73歳没)
出生地  ギリシャ アテネ
死没地  アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク
国籍  ギリシャ
配偶者
Panos Harokopos (1941-1962)
ジュールズ・ダッシン (1966-1994)

略歴
祖父は元アテネ市長のスピリドン・メルクーリ、父は内務大臣を務めたスタマティス・メルクーリという政治家一族に生まれる。

政治家として
祖国ギリシャに軍事政権が誕生すると反政府運動に加わった。
その後1981年から1989年にかけて、全ギリシャ社会主義運動のアンドレアス・パパンドレウ内閣において文化大臣を務めた。

1997年には彼女に因んで、文化景観保護および保護活動の促進に貢献した施設・団体を表彰する「文化景観保護と管理に関するメリナ・メルクーリ国際賞」が設置された。2003年に古河総合公園が同賞を受賞している。
 

◆主な出演作品
宿命 Celui qui doit mourir (1957) キネマ旬報ベストテン第2位
掟 La Legge (1958)
日曜はダメよ Never on Sunday (1960) ※カンヌ国際映画祭 女優賞受賞。アカデミー主題歌賞受賞、アカデミー主演女優賞ノミネート。
死んでもいい Phaedra (1962)
勝利者 The Victors (1963)
トプカピ Topkapi (1964)
太陽が目にしみる Les Pianos Mecaniques(1965) 共演:岸惠子
ダイヤモンド作戦 A Man Could Get Killed (1966)
夏の夜の10時30分 10:30 P.M. Summer (1966)
いくたびか美しく燃え Jacqueline Susann's Once Is Not Enough (1975)
女の叫び A Dream of Passion (1978) キネマ旬報ベストテン第6位

※受賞
カンヌ国際映画祭
女優賞
1960年『日曜はダメよ』

10月17日は『エマニエル夫人』で有名になったシルビア・クリステル(Sylvia Kristel)の命日

10月17日はシルビア・クリステル(Sylvia Kristel)の命日

シルビア・クリステル(Sylvia Kristel、1952年9月28日 - 2012年10月17日)は、オランダ・ユトレヒト出身の映画女優で、モデル。

17歳でモデルの仕事を始めた。
1973年にはミスコンテスト「Miss TV Europe」で優勝している。IQが164もあり、小学校では4学年を飛び級という経験もしている。

言葉は、オランダ語、英語、フランス語、ドイツ語とイタリア語も話せるという、マルチリンガルな才能を持つ。

1970年代半ばを通して、ベルギーの作家で27歳年長のフーゴ・クラウスと交際していた。

1972年に『処女シルビア・クリステル/初体験』で映画デビュー

1973年にエマニュエル・アルサンの小説『エマニュエル』が大ヒットし、翌年それを映画化したソフトコア映画『エマニエル夫人』に出演し、世界的な名声を獲得する。

ピエール・バシュレが歌ったテーマ曲とともに日本でも人気を博した。


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続編の「続 エマニエル夫人」(75)、「さよなら エマニエル夫人」(77)にも出演した。

ハリウッド進出作「エアポート'80」で、エマニエルのイメージを払拭しようとしたがうまくいかず、その後も「プライベイトレッスン」「チャタレイ夫人の恋人」(ともに81)とセクシー路線を歩んだ。
ハリウッドでは飲酒・薬物のトラブルもあり、話題作への出演が減っていった。

その後、2度の結婚を経験。相手はアメリカ人ビジネスマン(5ヶ月で離婚)と次は映画プロデューサーであったが、破産により関係も破綻。
その後、ベルギーのラジオ番組のプロデューサーと10年間ほど暮らした。10代前半からの喫煙の影響か、2002年に喉頭癌、2004年には肺癌の手術を受けている。

2008年9月、SMAP×SMAPにゲスト出演している。

晩年はオランダのアムステルダムに居住。年下の男性と同棲し、絵を描くことに没頭して暮らした。

2012年6月に咽頭癌の手術を受け、その後に脳卒中で倒れてアムステルダムの病院に入院していた。同年10月17日、入院先の病院で死去。60歳没。

パートナー: イアン・マクシェーン (1977年 - 1982年)
配偶者: フィリップ・ブロット (1986年 - 1991年 年結婚) · アラン・ターナー (1982年 - 1983年 年結婚)
子供: アーサー・クリステル (息子)
親: ピート・クリステル (母親) · ジョアン・ニコラス・クリステル (父親)
兄弟: マリアン・クリステル (姉妹)

◆主な出演作品
処女シルビア・クリステル/初体験 FRANK AND EVA/FRANK EN EVA 81分 (1972)
エマニエル夫人 EMMANUELLE 91分 (1974)
卒業試験 ES WAR NICHT DIE NACHTIGALL/DER LIEBESSCHULER/IT WAS NOT THE NIGHTINGALE 85分 (1974)
続エマニエル夫人 EMMANUELLE, L'ANTI VIERGE/EMMANUELLE: THE JOYS OF A WOMAN 91分 (1975)
夜明けのマルジュ LA MARGE 93分 (1976)
華麗な関係 UNE FEMME FIDELE 94分 (1977)
さよならエマニエル夫人 GOOD-BYE EMMANUELLE 98分 (1977)
エアポート'80 The Concorde ... Airport '79 113分 (1979)
0086笑いの番号 The Nude Bomb 94分 (1980)
プライベート・レッスン Private Lessons 87分 (1981)
チャタレイ夫人の恋人 Lady Chatterley's Lover 103分 (1982)
プライベート・スクール Private School 97分 (1983)
エマニュエル EMMANUELLE 4 93分 (1984)
魔性の女スパイ Mata Hari 108分 (1985、日本未公開)
ドラキュラ・ウィドー DRACULA'S WIDOW 86分 (1986)
エマニュエル~媚薬の香り La revanche d'Emmanuelle (1992-93) TVシリーズ ※ビデオタイトルはエマニュエル・ザ・ハード
Forgive me - Cyrus Frisch 01(2001)

ヴィヴィアン・リーVivien Leighと映画「風とともに去りぬ」


連休に映画「風とともに去りぬ」をDVDで鑑賞しました。
最終章で
 "Frankly,my dear,I don't give a damn."(俺には関係ない)とレットに突き放された後
ラストシーンでスカーレットは、「そうよ、タラに帰りましょう。帰ってから、レットを取り戻す方法を考えましょう。」と言い
 After all, tomorrow is another day. で幕を閉じます。
 
"After all, tomorrow is another day." 
「風と共に去りぬ」の最後のシーンで涙を拭きながらスカーレット・オハラに扮するビビアン・リーが最後に言うセリフです。AFIによる「アメリカ映画の名セリフベスト100」によると31位でした。
 因みにレット・バトラー役のクラーク・ゲーブルがスカーレットに言った"Frankly,my dear,I don't give a damn."(俺には関係ない)というせりふがベストワンになっています。


 

"After all, tomorrow is another day." は
 
「明日という日があるわ。希望を持って生きて行こう」とでも訳すといいでしょうか。
そして力強い言葉です。人々に生きていく希望と勇気を与えてくれます。

ヴィヴィアン・リーVivien Leigh は美しいですね。
映画「風と共に去りぬ」がアメリカで制作・公開されたのが1939年12月15日です。
ヴィヴィアン・リーVivien Leighが生まれたのは1913年11月5日なので26歳のころに「風と共に去りぬ」に出演したことになります。
匂い立つような美しさがあります。
ヒロインを演じたヴィヴィアン・リーの美しすぎるグリーンの瞳が魅力的でした。
この時代は正統派の男優、正統派の女優が全盛期でした。ですのでどの映画でも美人さんでいっぱいです。 

1999年にアメリカン・フィルム・インスティチュートが発表した「映画スターベスト100」では女優部門の16位にリーが選ばれている。
ヴィヴィアン・リーVivien Leighは1939年 第12回アカデミー賞で主演女優賞に輝いています。

 当初スカーレット役はポーレット・ゴダード、ジーン・アーサー、ジョーン・ベネット、そしてヴィヴィアン・リーが候補として挙がっていましたがジョージ・キューカーがリーを推薦したためヴィヴィアン・リーVivien Leighがスカーレット役に決定したようです。
1937年の映画『無敵艦隊』のヒロインに抜擢されこの作品でリーの美貌が評判となりました。映画女優として有名となったとはいえ、リーは活動の主軸を舞台においており、30年にわたる舞台女優としての活動で幅広い役柄を演じました。

「哀愁」や「欲望という名の電車」でのヴィヴィアン・リーは勿論、舞台女優、ミュージカルスターとしてのヴィヴィアン・リーも観たかったですね。

★ヴィヴィアン・リーVivien Leighのプロフィール
生年月日 : 1913/11/05 出身地 : インド/ダージリン 没年 : 1967/07/07
ヴィヴィアン・リーVivien Leighの本名はVivian Mary Hartley。インドの別荘で株商人の娘として裕福な家庭に生まれた。
5歳の時に、ロンドンの寄宿学校に入学。その後も上流家庭の娘としての教育を受ける。演技はパリのコメディ・フランセーズと、ロンドンの王立演技学校で学び、34年、“Things Are Looking up”で映画デビュー。
まもなく、舞台でのデビューも飾った。
37年、アレクサンダー・コルダと契約の後に「無敵艦隊」に出演、共演者のローレンス・オリヴィエとの熱烈なる恋に落ち、「嵐が丘」の出演のためハリウッドに渡ったオリヴィエを追って渡米。
そこで、デヴィッド・O・セルズニックと運命的な出会いをして「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラ役に抜擢。
映画の大ヒットと共にアカデミー主演女優賞も得て一躍大スターへとその階段を上り始めた。
以後も45年に結核で倒れたりはしたが、持ち前の美しさと演技力で次々と話題をさらい、51年「欲望という名の電車」で再びアカデミー主演女優賞を獲得。
しかし、これが黄金期の最後を飾る事となり、以降は体調を崩し、40年に大恋愛の末に結婚したオリヴィエとも60年に離婚。その後結核を再発させ、精神状態もすさんだままロンドンのアパートで息を引き取った。



◆受賞
アカデミー賞
主演女優賞
1939年『風と共に去りぬ』
1951年『欲望という名の電車』
ヴェネツィア国際映画祭
女優賞
1951年『欲望という名の電車』
ニューヨーク映画批評家協会賞
主演女優賞
1939年『風と共に去りぬ』
1951年『欲望という名の電車』
AFI賞
AFIアメリカ映画100年シリーズ
1999年 映画スターベスト100(女優部門第16位)
英国アカデミー賞
最優秀英国女優賞
1951年『欲望という名の電車』
トニー賞
ミュージカル主演女優賞
1963年『Tovarich』
その他の賞
ハリウッド名声の歩道
1960年 映画産業への貢献、映画・演劇業界への業績に対して

 
※付録 
"Tomorrow is another day."の訳について
"Tomorrow is another day."は映画「風とともに去りぬ」場合如何訳せばぴったりなのでしょうか。
古くて新しい問題。
 
日常でも場面によってはいろいろな邦訳が当てはまります。
 
・「明日という日がある」 
・「明日は新しい一日だわ」
・「明日は明日の風が吹く」
・「今日で悲しみは終わり、明日は何とかなるでしょ」
・「明日になればまたチャンスはあるさ」
・「明日に望みを託して」
・「望みはあるわ、 また明日が来るんだもの」(DVD邦訳)
・「明日という日があるわ。希望を持って生きて行こう」
 
映画の中の"Tomorrow is another day."の邦訳としては「風とともに去りぬ」の原題が" Gone with the Wind"と有り、「風」が使われていることやそしてスカーレット・オハラの楽天的な性格からすると「明日は明日の風が吹く」や「今日で悲しみは終わり、明日は何とかなるでしょ」が適当なのではないかという解釈もあるでしょう。 
辞書によると「明日はまた別のなりゆきになる。世の中は何とかなるもので、先を思い煩うことはない。」とあります。 
 
筆者は「今がどんなに辛くても、明日という日は必ず訪れる。故に決して諦めずに、希望を持って明日を生きていこう」という意味がこめられているように思います。
 
"Tomorrow is another day."という科白をスカーレット・オハラに扮するビビアン・リーは力をこめて言い放っています。そしてスカーレット・オハラの目と表情が輝いています。
 
自分で自分を鼓舞しているセリフに聞こえます。
 
そこで筆者の意訳は「タラという土地が有るじゃない。(明日という日があるわ)タラに希望を持って生きて行こう」という様な意味で「明日という日があるわ。希望を持って生きて行こう」という邦訳が適当ではないかと思います。
 
更にスカーレット・オハラの強い性格を考えてもっと積極的に「明日という日は今日より必ずいい日にしてみせるわ」という邦訳は如何でしょうか。
 
スカーレット・オハラの決意表明にも聞こえてきます。
 
" tomorrow is another day."こそが映画「風とともに去りぬ」のキーワードであり、
 
「人生あきらめずに明日に向かって生きていこうじゃありませんか」と人々にメッセージを送っているのです。
特に東日本大震災に遭われたかたがたにお送りしたいメッセージです。
筆者も座右の銘のひとつとして生きて生きたいと思います。
 
さて映画の中の"Tomorrow is another day."は如何邦訳すればぴったりなのでしょうか。
You Tubeでご覧になって又邦訳にチャレンジしてみてください。
 
★映画『風と共に去りぬ』
映画『風と共に去りぬ』(かぜとともにさりぬ、原題: Gone with the Wind)は、1939年に製作されたアメリカ映画。
監督はヴィクター・フレミング。主演はヴィヴィアン・リーとクラーク・ゲーブル。日本での初公開は戦後1952年。
 風と共に去りぬ [ ヴィヴィアン・リー ]
風と共に去りぬ [ ヴィヴィアン・リー ]
映画『風と共に去りぬ』はメトロ・ゴールドウィン・メイヤーとセルズニック・プロダクションが製作したテクニカラー方式による叙事詩的大作ドラマであり、製作費や宣伝費に大金を注ぎ込む始まりとなった作品でもある。
 1936年6月に出版されたマーガレット・ミッチェル原作の『風と共に去りぬ』が世界的ベストセラーとなり、出版してすぐ翌月には映画製作者のデヴィッド・O・セルズニックが早くも映画化権を獲得。
その後3年の歳月と当時の金額で390万ドルの製作費をかけて全編で3時間42分という大長編映画を完成させ、1939年12月15日にワールドプレミエとして初公開して、当時空前の大ヒットを記録した。
 
1940年のアカデミー賞で作品賞、監督賞、主演女優賞(ヴィヴィアン・リー)、助演女優賞(ハティ・マクダニエル・黒人俳優初)、脚色賞ほか特別賞を含め9部門を受賞した。
 
題名の由来
アーネスト・ダウスンの恋愛詩「シナラ」からとったもので、映画の冒頭のメインタイトルでスタッフ・キャスト等のテロップの後に、このダウスンの詩の一句が出てくる。
 
・・・・かって在りし騎士道と綿畑の地 人はその地を古き良き南部と呼んだ その麗しい世界で最後に花を咲かせた  勇気ある騎士達と艶やかな淑女達  奴隷を従えた主人たち  今は歴史に記されるだけの儚い思い出となった 大いなる文化は 風と共に去りぬ・・・
 
「風と共に去りぬ」とは1つの文化が戦争という烈風と共に消え去ったことを意味している。「風と共に去りぬ」は南北戦争で南部の貴族的文化社会が打ち砕かれて、その敗戦の荒廃と混乱の中から新しい再建が進められ、南部アトランタを舞台に大地タラが生んだ大富豪の娘、炎のような女、スカーレット・オハラの波乱万丈な半生、激しく燃えた恋物語でもある。
 
スカーレット・オハラの何事にも負けない力強い女の生き方に共感を覚える映画であった。
 
キャスト
主演は「欲望という名の電車」のヴィヴィアン・リーと「栄光の星の下に」のクラーク・ゲイブルで、「女相続人」のオリヴィア・デ・ハヴィランド、レスリー・ハワード、イヴリン・キース(「千一夜物語」)、トーマス・ミッチェル(「夢見る少女」)、バーバラ・オニール(「扉の蔭の秘密」)、アン・ルザーフォード(「虹を掴む男」)、ジョージ・リーヴス、フレッド・クラインらが助演している。
 
 
メラニー役のオリヴィア・デ・ハヴィランド(Olivia De Havilland 1916年生まれ99歳)はインタビューでメラニー役のことや撮影中のことなどを今でもはっきり覚えていると語っている。よほど印象に残った作品だったに違い有りません。
※オリヴィア・デ・ハヴィランドはジョーン・フォンテイン(英: Joan de Beauvoir de Havilland、1917年10月22日 - 2013年12月15日)の姉に当たります。
 
■スタッフ
監督:ヴィクター・フレミング
製作:デヴィッド・O・セルズニック
音楽:マックス・スタイナー 
 
マックス・スタイナーによるテーマ曲『タラのテーマ』は、格調高いナンバーとして映画音楽の古典となっている。アカデミー作曲賞の候補に上がったが受賞は逃した。
その時のアカデミー作曲賞は『オズの魔法使』であった。
 
受賞歴
1939年 第12回アカデミー賞
作品賞:風と共に去りぬ
監督賞:ヴィクター・フレミング
主演女優賞:ヴィヴィアン・リー
助演女優賞:ハティ・マクダニエル
脚色賞:シドニー・ハワード
撮影賞(カラー):アーネスト・ホーラー、レイ・レナハン
室内装置賞(美術賞):ライル・ウィーラー
編集賞:ハル・C・カーン、ジェームズ・E・ニューカム
特別賞:ウィリアム・キャメロン・メンジース(劇的な色彩の使用に対して)(主演男優賞、助演女優賞(オリヴィア・デ・ハヴィランド)、作曲賞、特殊効果賞(視覚効果賞)、音響賞 にもノミネート)
 
1939年 第5回ニューヨーク映画批評家協会賞
女優賞:ヴィヴィアン・リー

プロフィール

Angel Falls

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